昭和43年08月17日 夜の御理解
親教会のお月次祭に引き続いて、あちらの初代の教会長、荒巻弓次郎先生のお国替えをなさって35年に今年がなります。それで35年の式年祭がこの11月に仕えられることになりますので、それの打ち合わせが信者、それからご親戚の方達が集まって話し合いがございました。私はその中であちらでお話をさして頂いたことですけれども、本当に初代を頂くとか、初代の信心をどう生かすかとね、
その信心が頂けて、それが生かされて、そしてこの様におかげを受けて、この様に育っておりますと言う様な事が、私は御霊様への第一の、言うなら手向けであり、お喜びを頂くというのはこのことだと私は思うとる。でこれはその会前に、先生渕上先生が岸先生と2人でお話したことなんですけれども、本当にあの当時に親先生のお取次を頂いておかげを受けた人は数限りがなかろうけれども、それが残っておる者はそれこそ数えるほどである。けれども、私はそれでいいと思う。
その数えるほどの者が生き生きとした信心の種になっておると言う事が有り難い。これは岸先生も沢山の信者が残っておると言う事じゃなくても、例えば私とあなたが生きた種として残っておればそれでいい、私はいいと思うんですよと言った様な話を会議前にお広前で2人話し合って、先生も本当にそうですもんねんと言うて、まあ私の信心に共鳴して下さったんですけれども。またそういう会が始まりましてからもお話を私がさして頂きましたことは、そのことでございましたがね。
だから親先生の信心をどう頂くかと言う様な事ばかり言われて、その頂いて実が上がっていなかったらですね、頂いておることにならんのだと私は。まあそんなら私の例をもって言うならばと言うて、お話をしたことなんですけれども。例えば初代の荒巻先生というのは大変円満なお方であって、それも元は非常に短気である。気短かなお方であったのが、信心されるようになり、あのように円満になられた。
それも神様から「こりを積ますなこりを積むな身を慎め」と言った様な御教えを頂かれて、それをかけ守りのようにして守られ行じられたと。そういう信心が三井教会の信心の根本になっておるわけだけれども、この御教えがあまりにも難しいことに、それに取り組んでみて初めて分かった。そこで私は先生の信心のどこを頂いておるかというと「こりを積むなこりを積ますな」とこう仰るが積ますなと言う事は出来ない。
身を慎めと言う様な事も中々出来てはおりませんけれども、それは努めてはおっても出来てはおりませんけれども、只これだけは私の命と言う様にそれもやはり余儀なくさせられて、様々な問題が起きてくる度に様々な事がある度に、期せずしてそういう信心を頂いておったと言う事が言えるのですけれども、こりを積まんと言う事。どの様に例えば腹が立っても、どの様に情けない思いをする様な事があっても、どの様に言うなら馬鹿にされる様な事があっても、それによって私が自分がこりを積まんという信心。
これは自分のことですからできるけれども、こりを積ませんというのはなかなか難しい。私はこのところを初代の信心のここんところを頂いておるね、そこんところを頂いて、なら現在の合楽があると言うてよいくらい。そして不思議なことにいわゆる、こりは積まんと言う事の中にですね、こりを積まんためにはやはり、久留米の初代の信心であるところの信心辛抱と言う様な事がその内容にあることに驚く。
まあそう言う様な信心辛抱さして頂くなかに、福岡の初代の馬鹿と阿呆で道を開けと仰る、馬鹿と阿呆にならなければできないことに気がつかしてもらい。例えば初代のこりを積まんと言う事だけでも、そういう素晴らしい信心が内容になからなければ出来ない。そしてそういう信心が続けられて行く内に信心が信心を教えてくれるという現在の私の信心がそこから育てられておる。ですから結局はそれが母体なんです。
善導寺の初代の「こりを積むなこりを積ますな」と仰るその、私の場合は全部はできていないけれどもそのこりを積まんと言う事に始まって、それが母体になって、久留米の信心も少し分かるようになり、福岡の信心もまた分からして頂くようになり、そしてそこからまた信心に信心が育っていき、信心によって信心が教えて頂けて、現在の私の信心がある。母体はやはり三井教会であり、三井教会の初代の私は信心と。
それも初めからそれに取り組もうというわけではなくて、そう取り組まなければならないように余儀なくさせられてきたんだ。そしてそれに徹底してきただけなのです。私は親教会に参りましてから、神様にお礼をさしてもらうと、御霊様のお礼をさしてもらう。神様のお礼はそこでさして頂いても、御霊様の場合は私はここの、ここんところへ体半身は乗り出してからいつも御祈念するんですよ。
その事話したらほんなこてあんたがどうしてあげな、御霊様の方へここの上に上がらんばかりにしてから、御祈念するからどういうわけじゃろうかと思いよったけれども、はあそう言う様な事じゃったかと親先生も聞いておられたんですけれどもね。いわゆる初代に対する所の童念心なんだ。それからと言うて私はおかげを受けておる、親先生のおかげで助かっておると言う事はおかげを頂いておるんだけれどもですね、んなら20年も前に25年も前に初代に対する童念心というのはこんなんじゃなかっただろう。
けれどもそういう信心が段々自分に身についてくればくるほどに初代に対するところの、まあ憧れの念というかね、その童念心というものを例えば、ここでお礼をさして頂いても、やはり御霊様へ、少しでも近いところからお礼がしたいような、やはり衝動というものがある。それがいつの場合もそれが癖のようになっておるんだと言う様な話もさして頂いたんですけれども。同時に私はこんなことも話した。親戚の方達も沢山、沢山と言うが2、3人でしたけれども。
とにかく初代の信心を頂くと言うても是はね、必ずしも子だから孫だからと言うて、頂いておるとは言えないね。情の点においてはお父さんであり、又はお爺さんであり又は曾お爺さんになるんだけれどもね、それだからと言うて、信心を頂いておると言う事には繋がらない。むしろ信心というのは血の繋がりではなくて、本当にこの信心の繋がりだけをもって頂くと言う事がですね、私は初代を頂くと言う事になると思う。と言う様な事も申しましたら、鹿児島の行徳先生もその事を言うておられました。
確かにそうですね、私共の言わば爺というだけではなくてですね、その爺の信心に繋がらなければならないと言う事を改めて感じると言う事を言うておられますが、確かにそうです血じゃないね。ここでもんなら私の信心を頂くというのが子供じゃない、孫じゃないね。やはり私の信心に繋がらなければ、それから言わばその信心が母体になってと言う様に次々とよいものが生まれてこない。
まあそう言う様な話を今日はあそこでしなければならないような、余儀なくさせられて、まあそんな話さして頂いて、またお話さして頂きながら私もまた、はっきり言うて本当に私の信心の母体は三井教会であり、しかも三井教会の初代の信心の「こりを積ますなこりを積むな」という、そのこりを積まんというところが私の信心の母体だなあというふうに、改めてお話しながら感じると同時に、はあ本当にそうだなあ。これは血縁と言った様なものではなくて神縁。
いわゆる信心の縁が、私は本当なものになってこなければ初代を生かすことにはならないんだと言う様な事を、改めて感じさして頂いたんですけれどもね、有り難い。同時に私はそんなわけで今日は遅くなりましたから、いつも4時の御祈念を私が奉仕さして頂くんですけれども、今日はそんなわけで4時の御祈念ができていなかった。それでただ今の夜の御祈念に、ちょうど四時の御祈念の時に心中祈念さして頂く内容の様な事を今晩の御祈念に申し上げたのですけれども。
それで今晩の御祈念が長かったのですよね。いつもより長かったのはそういうわけでしたけれども、信心が初代の例えば教えて頂いたような信心につながって、段々久留米の初代の信心がその内容にあり、福岡の信心が内容にあり、桂先生があり同時に段々最近ここではどう言う事になっておるかと言うと、もう金光様の御信心はもう教祖の御教えに忠実になる以外にはないと言う所まで私の信心は育っております。もう口を開けば教祖様。口を開けば教祖様の御教え。
現在ではそこまでおかげを頂いておるんですね。ですから例えば御祈念ひとつ、おろそかにさして頂いてもですね、ご無礼してもです。やはりその元をとっておくというかね、とっておかなければ、例えばんなら昼のお礼をぬかして、夜の御祈念はあり得ないというほどになっておる。ですから夜の御祈念の中に昼の御祈念が入ってくるね。そしてそこに夜の御祈念がある夜の御祈念があって。
また明日の朝の御祈念に持ち込んでいかれると言った様にですね、本当にその信心の生き生きしたものがね、初代荒巻弓次郎先生の信心に始まって、そのようにこの逆流というかね反対にですね、段々教祖様の信心にというふうにお育てを頂いておると言う事をです、私は今日は改めて思わせて頂いた。改めて有り難いことだと分からせて頂いたんですけれどもね。今日は私が親教会に参りましてからお話さして頂いた中からです、今晩のお話を聞いて頂きました。
どうぞ。